
『夕べの徴』
夕べ…やがて暗くなり、全ての景が見えなくなる予兆ということだろうか。見えないことは《無》に等しい、逆に言えば《無》は見えるものを隠しているということになる。その隠している景を暗に見せているということなのか。
夜(漆黒/無)に移行していく景・・・夜は見えないが(隠しているだけであって)、不在ではなく厳然と存在するものを暗黒で覆うだけである。
夜(漆黒)は描けないが、《徴》はまだ見える範疇である。
これら条件を踏まえた『夕べの徴』の意味はどこにあるのだろう。
山の峰は限りなく黒に近く、山間から覗く空は落陽の残光である。
手前に描かれた波板の上のフレームなどとは把握不能の巨大な距離間があるが、手前の景がなぜこの位置に存在しているのかは極めて不自然であり、背景(山々)との連鎖すべき空気感が皆無である。
手前の景に関していえば、全てが微妙に傾斜しており、存在の根拠を逸している。つまり移動(落下)の予知が直感できるのである。
存在の不確定、確かに見えているが、時を待たずして落下・壊滅を免れない設定・構築である。重力下にある物体の静止を守る根拠がない。
この心理の揺れを甘受できないし、この不条理な光景を正視できない。
この作品を目にしていると静かに沈み込んでいく不安を覚える。まさに夜(無)への移行を怖れる前兆がある。
(写真は『マグリット』西村書店より)