
『埃の栽培』
栽培というのは人が意図して育てることであるが、降り積もった埃に人の意図が関わっているとは考えにくい。
《何もしないこと》が意志であると言えば、可逆的には正しいことになるのだろうか。(もちろん不可逆の現象ではある)
降り積もった埃は、時間と空間の経過を沈黙のうちに証明している。しかしこの粉塵は、さらに量を増していくかもしれないし、人に踏まれたり、風に吹き飛ばされたり、湿気(水)による変化を余儀なくされるかもしれず、一時的な現象を留めているに過ぎない刹那である。
主張なき現象への眼差し、在るが無きに等しい無のような現象。それを写真に収めるという行為は、ある意味《無の存在証明》である。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)