
『絶対の探求』
こんなに低い地平線を描くには製作者は地に這いつくばらなければ描けない。しかし描かれた樹は真正面からの視点であり、二つの視点の交錯した空間ということになる。
赤い洛陽が描かれているが、この景が見える時にはすでに太陽自体は沈んでいる。見えているが、実態は不在だということである。
樹が描かれているが延びた枝は極めて平面的であり、一葉の形状にカットされ向こうが透けている。しかも逆さに見ると一葉はあたかも地中に延びた根のようにも見える。
地平線はどこまでも水平であり、空は高く限りなく広がってる。
上記がこの作品における条件である。
要約すれば、マグリット自身の内なる風景である。異空間(現世と冥府)との交錯した空間意識、どこまでも伸びる地平、究極の指針である太陽。
樹の不条理な形態は物理的条件の打破を試行させるという暗喩ではないか。地平に這いつくばるような視点は、マグリット自身が地球と一体化した視点で世界を望んでいることのメッセージにも思える。
宮沢賢治の『春と修羅』を、わたしは『Halo(光輪/太陽)と修羅(わたくし自身)』と解釈している。マグリットの視点も『地球であるわたくしと太陽の彼方(異世界/冥府)』という布石が隠されているように思う。
絶対あり得ないことの究極の肯定である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)