『ローズ・セラヴィよ、なぜくしゃみをしない?』

 11.4×22.0×16.0㎝の鳥籠、鳥籠と言っているから(鳥籠なのか)と思うが、いかにも小さい。この中で鳥は飛べない。第一、出入口が持ち上がらないし、柵も少々幅広ではないか。
 昔見た(ネズミ捕り)のような捕獲が目的の籠を思わせる大きさである。
 イカの甲羅が見えるが、餌と言うにはそのまますぎて、愛玩の小鳥の餌とは思えない。イカの甲羅は餌であるらしいが、死骸でもある。

 全てが奇妙に意味を失っている。
 角砂糖に模した大理石が詰め込まれ、中の生物は圧死せざるを得ない状況であるが、その物は不在であるらしい。

「なぜくしゃみをしない?」
 くしゃみとは制御不能な生理現象である。「なぜ?」と言われても窮するばかり・・・。
 この命名に対する内容の不在、言葉と具体的な形態(状態)が一致していないのである。

 イカの甲羅、立方体に刻まれた小さな大理石、温度計、水飲みの器、疑惑の鳥籠…具体的な内容に共通性がなく、すべてが任意の羅列であり、意味を霧消させている。

 雑多な物の共存が反って目的を見失っているのである。一つの状況という集約的な目的が解体され意味のないことを、むしろ証明している。

「なぜくしゃみをしない?」は、「なぜ反論しない?」という挑戦状にも思える。


(写真は『デュシャン』新潮美術文庫より)