
『帽子掛け』
天井から吊り下げられた帽子掛けは、頭部を保護する帽子を納める器具であるにもかかわらず、天井から吊り下げられているという不安定な設置は、むしろ人の頭部を脅かすものと化している。
帽子掛けとしての機能、意味の剥奪である。その上、保護すべき頭部を逆に危険にさらしているという、ある種暴力的な設置に、鑑賞者は違和感と苛立ちを覚えるのではなか。
帽子掛けであり『帽子掛け』と命名されたこの作品の奇妙にずれた設置はユーモアというより反感を買う仕掛けである。
日用品のすべては必要に応じて造られている。在るべき場所は、必要十分条件であり、目的に外れた設置は意味をなさない。
日用品である物体から意味を剥ぎ取る、意味あるものを無意味に帰す仕掛けは悪意である。幾つもの頭部が宙に浮くという光景はおぞましい。
宙づりされた『帽子掛け』は、哀れである。帽子を掛けようにも手の届かない高さにあればなおさら帽子掛けと人の関係は断ち切られてしまう。
存在の意味を問うものであると同時に無意味の寂寞と無意味の暴力性を曝しているという感じがする。
(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)