
『野の鍵』
窓外の景色が見える透明ガラスが割れて落下している。その破片には見えていた景色が付着したかのように切れ切れにその景色が映っている。
透明ガラスから景色を見るとき、透明ガラスを意識しない。透明ガラスの向こうを見ているからで、透明ガラスは透明故に無の存在である。
(反射率や屈折率の問題を引けば)ガラスが割れてもガラスが割れなかった場合と等しい景色が見えるが、破損のガラスにその景色が付着していることなどが絶対に有り得ない。
にもかかわらず、それらしい状況に対し、ガラスの破片に映った(描かれた)図と窓外の景色の図の一致あるいは接続を試みる心理が生じる。
精神の無謀な作用、理念(正解)を承知しているのに、想念(不正解の正解)を希求する、視覚(脳)の誤作動は、あくまで精神界の錯視である。
『野の鍵』は、解放された精神を解く鍵である。もちろん見えるものではないが、在るものである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)