
『記憶』
ギリシャ彫刻を思わせる女性の頭部のみの白い石膏像、額の側面から流れ出る鮮血。
背後には鈴(言葉・伝説・流言・噂など)
側面は木目を克明に描きこんだ板が塀になって向こう側を遮っている。
ここは砂浜だろうか、海と空とのけじめも定かではない茫漠とした空気が漂っている。
記憶は誰の記憶なのだろう。もの思いに沈んだような女性の顔、額の鮮血、背後の鈴(言葉)を見る限り女の記憶のように思えるが、この作品全体を見る者の記憶かもしれない。
血は傷痕、哀しみの象徴であり、その因は背後の鈴(言葉)にある。過去か未来かは判別できないが、長い月日を遮蔽している板状の壁は飛び越えられるような高さしかない。(もちろん石膏像が動けるはずもないが)
超えようとして越えられない障壁ではなかったが、在って無い言葉(空漠)は、生あるものを死に至らしめてしまった。
記憶を手繰り寄せても、手掛かりになる証拠は霧消している。
石膏像の頭部は、すなわち《死》の象徴である。血を流すほどの苦悩、晴らすことのない遺恨。
止まったままの時の中に『記憶』だけが浮遊している。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)