
『新聞を読む男』
画面は四つに分割されていて、その一つに新聞を読む男が描かれているが、ほかの三面には男の姿はない。四つの画面は等しく同じ部屋・同じ設えである。
『新聞を読む男』と題されている通り、新聞を読む男が確かに描かれている。しかし、ほかの画面に男が描かれていないことにより、奇妙な不在感が生じるのである。
不在の部屋を更に多く連ねても、たった一画面の新聞を読む男が印象付けられるのではないか。
酷似・反復の連鎖において鑑賞者は差異を探す、探さざるを得ない心境に追い込まれるといってもいい。
同じに見えるということは、同じでない部分を探すことに等しい。
結果、堂々と『新聞を読む男』という差異を提示し、言葉により、お知らせまでしている。
しかし、どこかに違和感が残る。
新聞を読む男は相似の空間に必然的に存在しなくてはならないという呪縛が潜在意識に生じているからである。
新聞を読む男の欠落、不在は鑑賞者の精神(イメージ)を混乱させる。
『新聞を読む男』は、存在と不在の揺れの反復を鑑賞者に突き付けている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)