『旅人』
 静かな海の上に浮いている球体、ライオン・トルソ・椅子・樽・金管楽器・緑の葉(植物)・ミシン・麻袋…のようなものが球体状にまとめられ張り付いている。

 これを『旅人』と称している。
 宙に浮いている、存在感の希薄な浮遊。どこへ向かっているのか、目的が見えない旅の途中。

 ライオンは王の象徴、遠い眼差しのライオンは孤独であり、トルソ(女体・飽くなき性欲というより乾いた欲望)が、その背にのしかかっている。その上には大きな椅子、緑(自然)の上に置かれた椅子は地位・名誉の象徴であるが、漠とした態である。椅子の脚は立地点が不明であり、手前の脚などは鏡を抑えているのか、滑り落ちる兆候なのかも定かでない。
 鏡に映るものはない、つまり虚空である。
 樽と袋の包みは生きる糧、食料や財貨の暗示だと思う。ミシンは衣服など・・・(衣食足りて礼節を知る)という訓があるが、基本である。
 ラッパ(金管楽器)は主張、けれど虚空に鳴り響くばかり(かもしれない)・・・。


 球体に隠れた面には何かもっと別なものがあるに違いないけれど、これらを包み込んだ一つの球体(世界)を所有するわたくし(マグリット)は浮世を離れた孤独な放浪者であります。
 人は誰でも王たり得る自分の主であり、煩悩と生きる糧からは離れがたくありますが、虚しい地位には執着するものではありません。
 鏡の中の虚空間に描いた思いの丈はやはり、虚空に帰すものかもしれません。
 緑(植物の活性/自然)にもまして、黒々としたわたしの疑念の数々は容易に解けるものでもなく、わたくし(マグリット)は、宙を浮遊し探求しつづける旅人であります。(という声明を感じる)


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)