近美/葉山におけるギャラリートーク(水沢館長)では、
「作家の意図により、作意のプロセスには大きな違いがあります。李禹煥氏の場合はミリの単位で重量のある石をも移動させますが、若林奮氏の場合は展示場で全て設置し終え、本人共々「OK」と了承したものが、図録と違っていたことがあり、止む無く図録どおりに致しましたが、それでも良かったのではないかと思える範疇のアクシデントでした。」という逸話を話された。


 李禹煥氏の場合は対象物と周囲の空間(景色)との揺るぎない一致によって作品が成立するのに対し、若林奮氏の場合は、自然の景色を一種の仕掛けにより、ある種の視点をもってより鮮やかに提示することが基軸である。
 その範疇には偶然が潜み、常に動いていくものであるという時空の変動があるから予測不可能な結果をも甘受しなければならない。規則的な時空に、その曖昧な揺れが絡んでいくことのドラマを沈思黙考、身を委ねているのではないかと思う。

 自然(世界)の有り様を縮尺して見せるという意図は共通した理念である。しかし、その手法における差異は、観点の相違により発生する現象であり、作家の性格などとは無論、無縁である。

 世界に向かい、世界の中でものを言う(作品を提示する)。
 国という境界線を外した二人の仕事に大いに敬意を払うものである。