鎌倉商工会議所会館・地下ホールにての講演。
「鎌倉から美術館を失くすというのは痛恨の極みであり、若い人が集う学術の場がないということは、鎌倉たる所以を欠くに等しい。この鎌倉近代美術館の存在意義を問えば自ずから答えは見つかるはず・・・」と。そして「諸外国、また他の美術館と比しても、特有の条件を持つ発表の場である」と述べ、「アーテストは美術館によって育てられるし、自分も例外ではない。美術館というものは、見る側と見られる側との共有の場である。その文化、学術の礎を鎌倉の地に是非残し育てるべきではないか」との意見を拝聴。
李先生は、かつて開催された鎌倉美術館での個展の難しさを述懐、「熟知しているはずの空間でありながら、いざ作品を設置するときになると相当な迷い混乱が生じてしまった。
それは透明ガラスの壁で外界との境が希薄であり、自然の広がりや光や温度差、複合的な条件が交錯するので、作品(たとえば石、鉄板)との関係性が曖昧になってしまう、という不都合です。(「完全に遮蔽された空間であれば生じない問題ですが」とも。)
作品(石や鉄板など)がその物(対象物)を《超える》という現象を目にする瞬間までの試行錯誤です。そのものが周囲との関係性を肯定する現場に立ち会うということであり、その完結性を促す刺激として微妙な差異を生じさせます。心理的な差異を物理的な差異に置き換えるわけですが、角度であったり、切り落としたり曲げたりというプロセスをも踏みます。
ですから、「きみの鉄板はわたしと同じはずなのに軽薄に見えるのはなぜだろう」と疑念を抱かれることがありますが、そこには、浮かせてみたりと細かい配慮があるのです。(ちなみに浮かせるということは軽く見えるが、現実には〈物量×距離〉だから更に床に負担がかかる行為である)
これからの人たちへの進言として「世界に出ることです、情報を網羅し励むことから見えてくるものがあるはず」と力説。
(新しい時代、仮想がリアルに光の魔術として厳然と現れるコンピューターの操作。それら新機種・新素材が新人アーテストを待ち構え、見たことのない景色を垣間見せてくれるのではないか)
李先生のお話、ここには書ききれないほどの熱い講義内容でした。
ありがとうございました。
ps ベルサイユでの作品、衝撃的でした。あの王宮を空と大地の中に切り取ったんですから・・・。