戦後生まれのわたしはこの日を知らない。
 それでも、この戦争のもたらした悲劇が数えきれないことだけは知っている。

 父はマラリアに罹り幽霊状態で帰還。
 特攻隊であった父の弟は爪と髪を包んだ遺言を父に送って来たけれど、いざと言う三日前に八月十五日(終戦)を迎え、命拾いをした。しかし、その一生を貫いた思いはどうだったのだろう。叔父のお葬式に尋ねた室内には、戦艦・戦闘機などの写真が壁一面に張られていた。あの空間を、わたしは忘れられない。

 義父は硫黄島の玉砕と伝えられている。近年その凄惨な状況が検証され、さらに遺族の胸を押しつぶしている。(お父さんが生きて帰っていたなら…)六人姉弟の思いは一つかもしれない。


 わたしの子供の頃の新聞には必ず、戦争で生き別れた親族の手がかりを求める「尋ね人」の欄があったし、行き所を失った戦争帰りのホームレスがトンネルの出入口に何人もいたのを思い出す。
 公園の隅で彼らが犬を処理し煮えたぎった鍋の中に投入しているのを見たこともある。そしてその匂いを(おいしそう)と感じた貧しく飢えたわたしもいた。


 あってはならない戦争、戦争の悲劇…。
 今、蝉が激しく鳴いている。あの日もやっぱりこんな風に鳴いていたのだろか。

 あらためて平和に感謝し、平和の約束を守り抜いて欲しいと強く願っている。