七月と八月のお盆には必ずお墓参りをしていたのに、近年は七月だけで勘弁してもらっている。
 そこへ妹から電話・・・「これから行くから」
 「…助かるわ、わたしも一緒に行くから」と、わたし。

 市営のお墓が町内にあるため、欠かさずに足を運んでいたけれど、近年は夏の暑さに負けたのか八月のお墓参りを抜かすようになってしまった。(ああ、こんな墓守では・・・)と、自分を責めていたところへの電話。


《ありがとう》妹が来てくれれば両親も喜ぶに違いない。

「忙しいのに、わざわざ来てくれて悪いね」と言えば、
「今日から休みだから」と笑った。

 妹はタフである。その妹がやっぱり膝の具合が万全ではないと嘆いたとき、(わたし/姉よりはひどくなりませんように!)と、思わず祈願。

 妹の手土産を広げ、お茶を飲みながら、わが家を見まわした妹が言った。
「お姉さん、キッチンなんか、二十万も出せばすっきりきれいになるわよ」と。
「そうね、でもいいの…」と、わたし。

「この家に来ると、何か原点に戻れるわ」と、妹。
「貧しげで?」
「いえ、いえ、そういうわけじゃないわ」

 同じ境遇に育った姉妹、今では持てる力の差は歴然。豊かに暮らす妹には貧相なたたずまいが懐かしいのかもしれない。
(でもね、これで十分満足しているのよ、姉さんは)とも言えず苦笑い。

(血を分けた妹が豊かに暮らしているだけで姉のわたしは十分嬉しいの)


 苦瓜を三本、嬉しそうに持って帰った妹。(何ももてなしが出来なくてごめんね)
 お互い元気でいましょうね、それが何よりの供養だから。来てくれて、ありがとう。