「夏休み」…これほどうれしい響きを持った単語はない!と断言してもいいほど大好きな、待って待って焦がれた夏休み。
 
 何をしたいという前向きな目標があったわけではない。学校へ行かなくていい、ぼんやりと自由に過ごしていいという解放感は酷暑など問題でないほどの歓喜だった。


 誰にも会わなくていいという閉塞、安心。時が黙って流れていくという空漠…すでに半世紀を経た今日でも同じ感想を抱いていることに気付く。

(なんという寂しい子供時代だったのだろう。何という寂しい人生なのだろう。)可哀相なわたし、取り返しのつかない忘れ物をしているかもしれない。このままずっと、人生の欠損部分には気づかずにいたい。

 夏は海、夏は山と言ったイベントとも無縁。考えてみると、海へは毎日行くだけは行った。何もすることがなかったからである。ボオッと砂浜で陽に焼け、熱い砂浜と海中を行ったり来たり。ただそれだけ・・・。
 夏休みの宿題にも積極的な回答は出せず、自由研究や何かの創作などというものも、期間中には困惑と焦燥が諦念に変わるだけ・・・。


 それでも、それでも、学校に行かなくていい日々の連鎖は、わたしにとって至福だった。その始まりが七月二十日、通信簿などは記憶にない(忘れたい)。


 こうして書いているうちに、夏休みは嬉しい思い出ではなく、悲しい哀れな思い出に過ぎなかったのではないかという疑念がわく。
 でもね、やっぱり夏休みは一年に一度開く自由の扉。狂うほどに酔うほどに嬉々とした気分を、今も持ち続けている。夏休みバンザイ!