透明なガラス窓から見える野の景色、透明なガラス窓が破損し砕け散って室内に落下している。
 映っていた景色がそのガラス片に写ったまま落下しているというシュール、非現実である。

 マグリットは1933年に『人間の条件』を描いている。『野の鍵』は三年後の1936年の製作であるが『人間の条件』から『野の鍵』へと移行した必然的な鍵とは何であったのか。

『人間の条件』に関して、マグリットは「絵によって隠されている風景の部分と正確に同じものを再現した一枚の絵は、2つの異なった空間に同時的に存在するということは、過去と現在を同時に生きるようなものである」と言っている。

《過去と現在という異空間を同時に生きる》これこそマグリットの動かぬ基点である。自分はここ(現時点)に生きているが精神は常に(過去)に秘めた想いを隠している。この二重の空間の同時性を胸に収めている。

『野の鍵』は肉体的あるいは精神的な束縛からの解放を暗示する言葉であると注釈されている。
 マグリット作品に貫かれている秘めた《母の死》への想いは、決して語られずとも、にじみ出ている。あの時、あの時点の大きな喪失感が時空を異空間へと誘って止まない。
 生きるとは何か、人が誕生するとは何か、性の秘密、自然との競合・・・混濁した観念は必然的に時空を切り裂けなければならない。しかし、この同時性をもって生きることの寂寞に耐えている現状を打破したい思いも無くはない。
『野の鍵』が精神の束縛からの解放を暗示するなら、まさに自身の望むところである。
 破損したガラス片には、マグリットの母への執着した思いを断ち切る強い意志が秘められている。マグリット作品を一つの長い物語として読むのならば、この答えに導かれるのは順当なのではないか。

 マグリットは絵描きである前に哲学者であり、母を恋い慕う一人の子供でもある。『人間の条件』では精神の二重性(現実と過去の空間を同時に秘める)を描き『野の鍵』ではそれを強く否定したいと望んだのだと思う。望みが叶ったか否かは知るところではない。『複製禁止』と同じような意図である。
『マグリット』(西村書店刊より)