何につけても戸惑いがある。
 
 午前と午後と二つの別の用件を遂行するなんて(そんな元気がわたしにあるかしら)と、くよくよ思いあぐねている内に、申し込みの締切日が過ぎてしまった。
 (これでいいのだ)という思いと(意気地なし)という自分への軽蔑が交差する。

 目的云々よりも、外へ出て歩くことへの願望。
「家にいるとね、ほんとうに歩かないわ、万歩計ではかったら350歩。嘘みたいな本当の話よ」と友人が語ったことがある。
(そうなの・・・ため息)

 だから何とか用を作って外へ出ようとするけれど、元来出不精のわたし。(出不精というより、出ることを頑なに拒んでいる)

 時を待たずして、どんどん劣化していく身体・・・もう、いずれ歩けなくなる日は近い。(そう思う)

 フィールドワークが二日続きにある、こんな場合は確実にひとつは取りやめなければ(わたしは死んでしまうのではないか)とさえ、思いつめてしまう。それほどの弱気。

《為せば為る、為さねば為らぬ、何事も》こんな格言とは無縁。
《為せば不具合が生じる、為さねば不具合は生じない、何事も》用心に越したことはないという安全第一の日常は、劣化(老化)に拍車を掛けている。

《どうしよう、どうしよう、どうしたらいいの》と独り言をいっている、お馬鹿な日常である。