昨日も今日も変わらないけれど、ふと気づけば人生も終盤。

 過去の重さは霧消しているが、それが上り階段であったかといえば確証はない。故に未来(通称老後)が下り坂であるというのも憶測に過ぎない。確かにあらゆる機能に衰えが生じ、物理的にも精神的にも不具合は認めざるを得ない状況である。

《人の寿命は、尽きる日が必ず来る》という前提条件は人を脅かしてあまりある。生きている限り、立ちはだかる壁でもある。


「何を為すべきか」は最大の問いであり、背中を押す要因になっている。
 日々の暮らしは否応なく反復を強いる。

 凡そ取るに足らない茶飯事・・・。

 しかし、これこそが大いなる誤解ではないか。
《昨日のように今日をも過ごす》この平坦さは、むしろ奇跡なのかもしれない。

 積み重ねられていくデータの集積には、見えなかったものを見せる力が潜んでいる。
 終盤の醍醐味はここにある。静かに、密やかにそれを享受する愉しみ。

 終盤にはリミットがあるが、その長さは不確定である。わたしは限りない新しさに眼を見張りながら未知の新世界を求め、終盤という黄昏を歩いていきたいと願っている。