*カフカでも賢治でも、角川文庫版と新潮社版の本を参考にしている。この「セロ弾きのゴーシュ」に関して角川文庫版を参照していたのだけれど、新仮名遣いになっていることに気付いた。それだと「云う」は「言う」であり、「呆れた」は「あきれた」という風に読みやすくなっている。新潮社版に切り替えることにしたけれど大意はそれほど変わらないので以前のものをそのままに続けていくことをご了承ください。
 たとえば(云うはウンと読み、運(巡る、めぐり合わせ)か、薀(奥義)になる)


 ガラスは二三枚物すごい音して砕け窓はわくのまゝ外へ落ちました。そのがらんとなった窓のあとをくゎくこうが矢のやうに外へ飛びだしました。


☆字を散(ばらばらにする)と毎(そのたび、ことごとく)隠れた差異(違い)がある。
 挿(さしはさんだ)我意が絡(つながった)双(二つ)也。
 我意は秘(秘密)である。