体調が思わしくないと、(なにか罰が当たったのかしら)と考えることがある。

 神さまがわたしをからかっているのだとも思う。


 今朝のわたしは朝だというのにひどく疲れている。
 今日は水彩画サークルのモチーフを持っていく当番であれば、休むわけにもいかない・・・。

 ああ、本来元気なはずのわたしが不調なのは病気の兆候ではなく、たんに《神さまが悪戯をしているにすぎない》と自分に言い聞かせている。(負けないぞ)だから、ほら・・・少しづつ快方に向かっているのか、肩の凝りも和らいできている。寒さで目を覚ましたとき、掛け布団は半分しか掛かっていなかった。(そのせいかもしれない)


 日常は平坦なものと思い込んでいる、少しの差異は《神さまの悪戯》と原因を転嫁させて自分ばかりは呑気な性分。


 そうではない、全てに因果関係があって有機物質である肉体は劣化の一途を辿っていることを悟らなければならない老いの身。

 それでも神さまを道連れにすると、何となく気が楽になるのは不思議。
《神さま、心得違いのわたしを許してください》

 不調に負けないのではなく、不調と上手くお付き合いしていくことの方が手段としては有効かもしれない。