つくづく自分は年をとったと思うのは、時代というものに疎いどころかよく分からない時である。

(ああ、なるほどね)と理解できる範疇であれば、錆付いた感性のホコリを払うことが可能だけれど、(ハテナ?)と戸惑いを隠せない事もある。

 
 写真も義兄の入っているサークルの写真展はよく分かる(当たり前だけど)。若干抽象的に加工したような作品もないこともないけれど、納得のいく範疇であり、首を傾げるほどの事はない。


 昨日通りがかりに入った画廊での写真展、題名が付けられていなければさっぱり・・・。たとえば「手」・・・モノクロ写真で手と言われなければ、雲か何か掴みどころのない写真。

「よく、分から・・・」口ごもったら、
「ああ、これは写真を見てイメージした僕の音楽とのコラボなんです」と、ヘッドフォーンを。

「聞けば、この写真の意味が分かると思いますよ」と22才だという若者が言う。

「・・・」ドラム音・・・単調な流れ・・(日常の普遍性か?)
 
 対象(モチーフ)を感じ取って楽曲を作るって!イメージを立体化するなんてスゴイ!


 you lie, we die. という作品も。
 時代を感じながら言うべきことを告発する。

 若者たちはその微妙さを肌で感じながら何かを表現しようとしている。すっかり分かるというのとは違うけど、その微妙さその眼差しは遊びの曖昧さを拒否している。

「名前書いていって下さいよ」と、見たサイン帖(芳名録)・・・若者らしいこだわりの文字が並んでいて、普通の書体で書いたわたしの名前は浮いてしまった。

 頑張って! 見えないものを探す眼差しから、すべては始まるのだから。

(横須賀上町「スペース・三季」にて)