雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 行きニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 欲ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ 
 ジブンヲカンヂャウニイレズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒデリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クミモサレズサウイヒモノニワタシハナリタイ

 これをわたしが今解釈しているやり方で直すと、

 有(存在)を普く切/断ち切り、化/形を変えて別のものになることが諸/もろもろの常である。
 逸/かくれた)実(まこと)が現われては邁(過ぎる)。
 恰も魅(もののけ)の蘇(よみがえり)の照(光)也。再び新しくなる也。
 現われる照(光)の燐(鬼火)は、死地の照(光)として現われては消える也。
 等しく平(平等)な鬼(亡霊)の光が環/めぐる。
 平(平等)な済/救いの光。
 等(平等)、即ち雷(神なり)。
 難(苦しみ)を試す神は、光の僕(使い)である。

《すべて二重の風景を》
 賢治はよく見える物語を書きながら、もう一つの主張を書いている。