若い頃は、自分が老いるなんて事は深く考えたことがなかった。
 今日は昨日の続きであり、明日は今日の延長であれば、人生は反復の修行であると考える傾向にあった。

 反復しながら劣化し、下降し・・・やがては消滅していくという摂理は受け入れがたい。理の当然、自然の成り行きに自分自身が組み込まれていることへの驚き。

 そう、そうだったのか。気力では補いきれない動作の鈍化・・・。

 どう向き合えばいいのか・・・ひどく戸惑っている。
 団塊の世代が、揃って同じ方向を向き老いていくので、老化対策やサプリメントの情報はむしろ多すぎるほど。この慌てふためいているともいえる状況にあって、大切なのは「諦めること」なのか「諦めないこと」なのかと煩悶する。

 有終の美・・・せめてもの意気込み、否、人としての生命の証しは如何にあるべきかを考える。

 わたしがわたしであり続けること・・・歯を食いしばっても、わたしでいられるように願う。

 白露や 死んでいく日も 帯しめて(三橋鷹女)

 先達の心意気を胸に秘めている。