デュシャンの精神の質的変換を空間意識の妙を以て一体化した祭典ともいうべき作品である。

 彼女という指示代名詞、彼女はどこの誰だか明確には分からない誰かである。その彼女の独身者はさらに分からず、今度は複数である。彼女の所有する独身者は見えない。
 独身者とは法的(戸籍上)性的関係を持たない者を言うのだろうか。独身者は男女を問わないが、(彼女の)と指定されることで、男が浮上する。
 『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁』、彼女と花嫁は同一か、否。意味の分解、破壊は事件すら妄想させる。
 あくまで言葉(空想)の関係性によって砕かれた言葉(空想)は重さ(現実)を失い浮遊する。

 重力、回転、表裏などの心理的混乱を招く作品は時空を飛び越え夢想(非現実)を醸す。ガラスという透明、在るが無い(境界)。
 
 この作品を鑑賞する場合、この作品には鑑賞者自身が大きく映る、背後を含めた鑑賞者さえもこの作品の内実を担う現場を体感し、しかもガラス(作品)の向こうには、明らかに既存の現実風景が息づいているという仕掛けである。つまり現実と非現実は一体化し境目を曖昧にする構造である。

《さえも》は《まして》を受ける。つまりこの混乱にまして有る《現実は》という《問いかけ》が潜んでいる。

 写真は『DUCHAMP』TASCHENよりジャニス・ミンク