愛されずして沖遠く泳ぐなり
二つの視点がある。泳ぐのは自分であるが沖遠くという眺望はもう一人の自分の眼差しである。愛されずしての絶望は苦しい。その苦しさに追い打ちをかけるように沖遠くを泳いでいる。
なのに、波一つないような静寂を感じるのは何故だろう。この一文が大きく膨らみ一枚の絵のように映る不思議。
地に足がついていない不安定な状況、浮いている。沖に在るという《圧》は重く悲しいはずなのにその景色が遠く点のように見えるため無常感のみが漂う。胸を打つ共感、沖遠く泳ぐ体力(パワー)には茫漠とした明日の光がある。
愛されずして沖遠く泳ぐなり(愛沖遠泳也)はアイ・チュウ・エン・エイ・ヤと読んで、隘、厨、宴、詠、爺。
☆隘(狭苦しい)厨(くりや、台所)で宴(酒盛り)をし詠(詩歌をうたう)爺である。
愛されずして沖遠く泳ぐなり(愛沖遠泳也)はアイ・チュウ・エン・エイ・ヤと読んで、愛、知友、媛、詠、野。
☆愛(心惹かれる)知友の媛(美しい女性)が詠む野(自然のままの歌、口先俳句)。
愛されずして沖遠く泳ぐなり(愛沖遠泳也)はアイ・チュウ・エン・エイ・ヤと読んで、挨、宙、煙、映、也。
☆埃が宙を煙のように映る也。