今現在停止している状態に疑いを持たない。
 在るように在ることのなかに生きている。このバランスの平静さ、安穏は平和であり、破壊、崩壊は拒むべきものであり悪でさえある。

 何時か、時間の経由は形態を変えてゆき、物質は元素にまでたどり着くに違いない。換言すれば元素から成り立つ風景でもある。この循環に逆らう術はなく、その一刹那を生きている。

 自転車の車輪が丸椅子の上に倒立している景。
 まったくの不自然はわたくしデュシャンの作為である。この危険な景に疑問をいだかないのか?当然落ちて然るべき光景を目の前にして肯定し行き過ぎることがどうしてできるのか。

 不自然なことも、定着(動かない)という安堵があれば自然として疑惑を抱かない。定着、誰もが認める平穏に浴すことで危険から遠ざかる。千万(数多)は一の要因を度外視する。一はかき消され千万(数多)の中で同じ色に染まるしかない。

 『自転車の車輪』を回すデュシャンの手(精神)の先にある憤懣、この不自然、滑稽を容認する千万の眼差しを甘受・・・回すことで生産や機能の発生はないのだから。
 しかし、暗黙の告発が秘められている。
 この物(『自転車の車輪』)こそ(わたくしである)と呟く声がする。

 写真は『DUCHAMP』TASCHENよりジャニス・ミンク