
下降する裸体の連続映像、物体でなく裸体である必要はどこにあったのか。物体が階段を落ちる様子では描けなかったもの。
肉体には精神が宿るが、ここでは肉体であるイメージを全否定する何かに置換している。厚紙、平板な木材・・・ただ確かに頭部(顔)、胸部、腰、足(膝)など裸体(人類)を想起させる要素を残し、裸体に寄せている。物体に置換されたそれには表情(精神)が欠落している、ゆえに危なげとは隔たりがある。
作品(絵図)を見ても階段を下りる行為の危うさを感じない。
上がる時に見える段の高さや位置は、下りていく眼差しには見えない。見ようとすれば裸体は前に傾くことは必至であり、総ての感覚は降りていくためだけに集中する。
精神を内在する裸体と生活機能(精神)を持たない人を模した材では明らかに相違がある。しかし、(裸体)と括ることで裸体をイメージする。
裸体をイメージするが作品(絵図)は危うさ(恐怖)を微塵も感じさせないのである。
物質と精神には大きな落差(隔たり)があることの証明である。さらに言えば、裸体(人間)には精神があることの証明あるいは発見である。
写真は『DUCHAMP』TASCHENよりジャニス・ミンク