
『階段を下りる裸体』
階段を上るためには労(エネルギー)を要する。階段を下りるためにも労(エネルギー)は要るが重力に従う下降は抗力が少ない。すなわち消沈のイメージがある。
階段を下りる裸体、裸体である必然性は身分の消失である。であれば残る要素は男女の差異であるが、この画に男女の特記はなく認める術を持ない。そのうえ、肉体であることさえ想起できない質感である。
裸体とは人間の裸、しかし人間である条件を著しく欠いている作画は肉体から大きくかけ離れている。《何ものでもないもの》としての裸体である。
何故あえて(裸体)だとタイトルしたのか。
《思い込み=観念》、裸体といえば裸体だと認識するその観念(常識)への挑戦、デュシャンの意図、日常生活における思い込みの破壊、解体である。
連続写真の時間・空間の前提は他の条件を希薄にし、大まかな景として肯定する傾向がある。
『階段を下りる裸体』は観念の破壊、解体、観念への挑戦である。(明らかに周知している)という思い込み、否、思い上がりを否定する。すなわち破壊、起爆を打ち上げたのである。(燃え上がり霧消する材、この景がこの作品の末にある)
解放の扉、崩壊は落下の圧力による風穴が鍵かもしれない。
写真は『DUCHAMP』TASCHENより