『汽車の中の悲しめる青年』

 暗い色調、『汽車の中の悲しめる青年』というタイトルであれば、これは《青年》に違いないと承諾し青年であるという目線で作品を凝視する。(どこに青年らしさの要素があるのだろう)という疑惑は払拭できないが、とにかく青年というからには青年に違いない。(決定である)

 しかしどう見ても青年の要素に欠ける、しかも被写体は連続写真の態を為している。着衣をはぶいた態はまるで木材か何かのようであり、肉体(青年/人間)という条件を著しく度外視している。

 悲しみという感情は確かに彩色の暗いトーンに潜んでおり、これだけは確かに肯ける。しかし、やはり(青年)には届かない。にもかかわらず『青年』(男としての機能を持つをもつ男子)と言い切っている。

 「解体」・・・壊している。
 汽車は走り去る《時間の経過》の中であるが存在における空間には実態に欠けるそれらしきものの形態が有るのみである。
 要するに《青年の解体》であり、性器の所有を判別不可にしている絵図は『解放への告発』である。

 写真は『DUCHAMP』TASCHENより