孔雀まで吹かれて来り春の暮

※放し飼いの孔雀などいないから(吹かれて来り)はない。他のものと一緒に孔雀までという場合の(まで)は甚だしい程度であって、この句の場合の(まで)は空間の範囲であり、孔雀のいる場所までという意だと思う。
 春の暮は日ごとに延びているので思いがけず孔雀の飼われている柵までも、吹かれるようにして来てしまったという心地よさを詠ったのだと思う。

 孔雀まで吹かれて来たり春の暮(孔雀迄吹来春暮)はコウ・ジャク・キツ・スイ・ライ・シュン・ボと読んで、耕、弱、詰、遂、来、竣、母。
☆耕(田畑の土をすき返す)。
 弱(力がなく)詰(屈まって)遂(やりとげ)来し竣(終えた)母である。

 孔雀まで吹かれて来たり春の暮(孔雀迄吹来春暮)はコウ・ジャク・キツ・スイ・ライ・シュン・ボと読んで、荒、寂、吃、垂、磊、悛、模。
☆荒(土地に雑草が生い茂る)のを寂しく吃(身に受け)垂(なんなんとする)。
 磊(小さなことに拘らない)で悛(改めること)を模(手探りする)。

 孔雀まで吹かれて来たり春の暮(孔雀迄吹来春暮)はコウ・ジャク・キツ・スイ・ライ・シュン・ボと読んで、構、着、吉、遂、頼、簿。
☆構(くみ立てること)に着(取り掛かる)のは吉(良いことである)。
 遂(やり遂げること)で頼りになるのは簿(ノート)である。