泳いでいるのだから生きており、犬の形、模型というのではない。

 今この瞬間、生きて泳いでいる犬の景であり、泳ぐ犬のスケッチでもない。
 木材という堅い素材で水を具現化しているので観る者は(これは水なのだ)と解釈するがどこかに違和感が残る、(水でないということは)と。

 つまり《水であって水でない》のである。泳ぐからには水(液体)であるほかないが、それを(樹)に置き換えている。この奇妙な違和感、くすぶる曖昧さ、抜け出せ得ない抗い。

 端的に言えば絶体絶命の危機の状況である。拘束そのものであれば、生きた犬は死線をさまようほかない。命がけ、絶対不可能を泳ぐ。
 静かで物言わぬ作品の必死さが凝視するたびに浮上する、そういう作品である。

 写真は「若林奮『飛揚と振動』展より