
作品に感動はない。無味乾燥の寂寥感が漂う。鉛線は一種の拘束のようであり識別の基準線にも思え、強いて言えば不要の線である。
9つの鋳型は不明極まるもので、鋳型の中は(重要な要)まるで見えない。つまり《不明》を提示しているのであるから作品を前にした鑑賞者は戸惑うほかななく、その有体から何らかのヒントを得ようと苦慮するという無為を重ねるのである。
デュシャンは周囲(鑑賞者)を笑っている、無為を差し出し《これが分かるか》と挑戦している。
無為、破壊は大きな怒りの裏返しかもしれないが、悟ことも悟られることも意図せず静かに作品を提示するのみの姿勢である。作品を離れても、全ての時間の中で考える課題を差し出している。
大いなる課題については世界的な時間を要する問題かもしれない。すべては不可解なままフリーである。
写真は『DUCHAMP』TASCHENより