時間は常に存在と共にあり、 無であれば時間は存在しないはず。
時間というのは元来(無)ではないか。人智・叡智が太陽を基点に定めた概念に他ならない。
にもかかわらず時間は世界の動かしがたい取り決めであって疑念の余地はない。歴史は一括りにされた時間(時代)として記録される。共通認識は必至であり時間という概念なしに世界は回らず流通を要する発展はない。
時間は見えないが、便宜的に時計という時を刻み提示する器械を使用することで昼夜の刻みと共に実感することを可能とし生活の要と化している。
過ぎていくという感覚は時間というものを体内を通して記憶の風景となる。
時間は、昼夜や四季によりその循環に並走し、生々流転の連鎖は時間との共存である。時間への郷愁(懐古)や未来への夢想は幻想にすぎないが人は時間を常に計算し計画を思考する。
人類が侵さざるを得なかった積年のCO₂排出、SDGS・・・戻ることも時間を飛び越えることも出来ない。
現代人は未來という時間に負うべき義務を宿している。
時間は地球における特質である。地球という固体は時間と空間の中で浮遊し、それを目撃する人類(生物)は有機無機を問わず時間の流れの中に生活の場を得ている。共有、あるいは対峙し、振動、波の量の変化(位相)の中に混在するものである。