決定された約束の時間という ものがあり、日が昇り日が沈むという単位の重複の中で生きている。
《絶対》という観点から外れることのない日常。
昨日は駅から病院までを歩いたが往復ともほぼ同じ時間でありながら、精神的な長短が刻まれる。
向かうときの焦りの交じった時間と帰りの解放された時間では全く異なる感慨を抱く。もちろんその時の複雑な事情が絡まれば更に内包された時間への感想は微妙に変化をもたらす。
決定的なのは時間は不可逆であるということで、可逆は有り得ない。自分の生かされている時間を鑑みるにすでに後半残り僅かの時空は切ない。
切断される個人の時間への想いは同質に見えてきわめて個人差があることは周知の事実である。
わたしの時間、計画しても計画は挫折の一途で一日は終わりひと月も過ぎ、一年も過ぎ去る。そんな風に物心ついたころから時間と向き合い、戦い、ときに愛おしむという関係である。
過ぎ去る、擦過していく見えないものを周りの景色が教えるという自然という空間。この時空の中でやがて消滅していく自分。
考えるまでもなく、自然に融合し古び劣化していく。それをこの目で見届ける権利を有しているし、生きねばならない義務もある。ああ・・・。