水遊イエスのごとき脛をもて

 水遊? イエス? (大人の遊びで懲罰か)

 水と言ったら(河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず/兼好法師の徒然草)
 遊は、故郷を離れる、旅に出る、自由に解放される、自立するの意か。
 脛は、脛一本、自らの足を使って懸命に働くという勤労の象徴。
 (もて)は命令。

 世間、世の中に出たら《Yes・承知、賛成、肯定》を以って働くべきである!

 反骨、反逆の精神こそが若者の特権。
 従順、勤勉は心に秘めても口外できない。しかし敢えて世の習いの中に襟を正して挑むべきだという作者の決意が垣間見える。