
室内からの窓外の景である。
わたくし(マグリット)はここに居るが、分身である彼(マグリット)もまた遥か彼方にわたくしに対峙して在る。
鏡に映った自分は胸裏であり、客観的事実の想定でもある。遥か彼方、大地に根を張って生きていると自覚しているがその球体は宙に浮く拠り所のないものである。ずっとずっと向こう、測ることが出来ないほどの遠隔にわたくし(マグリット)は存在し、同じく離れたわたくし(マグリット)を見ている。
「アルキメデスの点」、地球の外に支店があるならば、地球を動かしてみせるといった。この空間論理、感覚を得て眺める窓外の景色(わたくしのいる風景)は究極、わたくしにおける物理的外観を借りた心象風景にほかならない。
存在とは、見ているが見られてもいる相対的なものであると。
『終わりなき認識』
認識に絶対はなく、他との関係性によって存在は成立するゆえに、終わり(判断されるべき決定)はない。
写真は『ReneMagritte』展覧会カタログより