亀井泰治先生の講演
横須賀の下町、(上町という地名はあるが)下町という町があるわけではない。大滝町、小川町、若松町など中央駅の周辺を総称した呼称である。
下町への郷愁。子供の頃、買い物は下町でありデパートのエレベータの異空間や屋上の眺めを愉しんだ記憶。三笠銀座商店街・・・駅前のロータリーを映像で見たときは一気に懐かしさがこみ上げた。
ただ今回の講演は昔を偲ぶなどということではなく横須賀市がどのように街の態を為していったのか。防火防災、耐火性のある建築への助成金をいかに取得し得るか、などの観点からの発展プロセスの解説だったかもしれない。
地形(埋め立て)、戦禍後の計画による変遷。(ああ、あの辺りも埋め立てだったのか)
西武は横須賀(湘南鷹取、馬堀海岸など)に軽井沢のようなリゾート地を夢想していたなんて初耳。(漁業権を西武に売り渡した馬堀海岸はアサリやバカ貝が採り放題だった)
子供の頃「ここ(汐入小学校)から向こうへは行ってはいけません」と言われたドブ板通り。
戦禍によって遊郭が大滝遊郭から柏木田(公認遊郭街)に移転したことなど子供にとっては知らない事情も。
大軍港都市だった横須賀市の人口の推移・・・全国一の人口減の報告。温故知新を踏まえて横須賀市がどのように変貌していくのか。二人の息子は市外に居住、あこがれの横須賀として戻って来るようなことがあるだろうか。
横須賀は埋め立てに次ぐ埋め立てで出来た街だったのかと・・・。確かに母の実家(公郷/安浦)の下は波が来ていたとも聞いたことがある。
以前、大前研一が「三浦半島(横須賀)の問題は三崎・横須賀道路の渋滞にある」と発言していたことなど思い出した。