
『埃の栽培』
マン・レイとデュシャンのによる『埃の栽培』である。デュシャンの要望に応じて埃が積もった状態のままでマン・レイが撮影。
埃の集積は人為によるものではない。しかし、栽培といっている。
誰が、主体は見えない誰か…自然、時間、あるがままの風景は人が侵さない限り蓄積され風化されていく。
埃、肉眼では見えないような塵芥が時間経過により集積され見えるように形成されていく。
人為、意図の介入しない世界。
(無から有だろうか)否、微細な存在の集積が《有》を主張し始めた形跡である。
LGBTQ、性的少数の人たちの声なき声の集合を暗喩しているのではないか。『埃の栽培』とは淋しすぎる形容である。
写真は『DUCHAMP』TASCHENより