《さえも》は微妙である。
 肯定的にも否定的にも付け加えたり強めたりと意味の範疇が広く流動的である。しかもタイトルの言葉の羅列は焦点を持たない。そしてそれが作品を表明しているという混沌。

 一瞬であり、決して二度と同じ形を求めることが不可能なものや破壊破損を免れないもの、形態とは何であったかという通念への問い(否定)・・・等々。
 ガラスという媒体(二次元であるが透明であり二次元を打ち消すもの)に閉じ込めている。このガラスのひびは否定や攻撃の痕跡であると同時に自身の打ち破る猛威たる活力である。

 熟考の果て、究極《無》だろうか《有》だろうか。
 この曖昧模糊の存在の表明、デュシャンの求める《存在証明》は彼の為す作品群全体の一貫したテーマであり集約である。

 把握しがたい、しかしその把握し難さこそ彼の追求する原理である。

 写真は『DUCHAMP』TASCHENより