
『折れた腕の前に』
雪かき用シャベル、しかしその持ち手の位置がずれている。
中央にあるべき心棒(持ち手)が片側(右)に寄っているので力が正しく伝わらず、力を入れれば入れるほどシャベルが壊れていくことは必至。
しかもシャベルの前に立つ人間の腕は折れているという前書きである。シャベルの不具合の前にシャベルを持つ腕が折れているという負のスパイラル・・・。
要するにここに本来の意味は成立しない。息が詰まるような哀愁や悲哀に立ち会わざるを得ない鑑賞者は言葉を失う、成す術がないからである。この緊迫、この無常。
正しく備わっていないという不備。正論の前の敗北、立ち向かう論理は成立しない。
しかし、あるがままの景色を否定する権利もない。蔑みや軽蔑も不要である。
《役に立たないこと》は諦念すべき事実だろうか。存在の事実があるだけの光景は何を教えてくれるだろう。廃棄、共存、世界は有用なものであふれているように見える、しかし、それは単に仮象に過ぎないかもしれない。
写真は『DUCHAMP』TASCHENより