そもそも雄とは何か、本来外観からは識別が難しいのではないか。覆うべき性器は被われており、露出は禁止とされている。

 9つの雄の鋳型、9つの形態は床に設置することが困難であるが、そのこと自体に問題はないとしても内部に主眼があるべき物に、外観は意味を伴わない。鑑賞者はその外観に関心を示さざるを得ないがやがて無意味なことを感じるはずである。
 まして《雄》であるという指定は(雄である)という思い込みを刷り込んでしまうことで、さらに混乱を招く文言に誘導する。

 二枚のガラス板で挟んだ『9つの雄の鋳型』に鑑賞者の眼差しは焦点を失ってしまう。
 錯綜する真偽・疑惑は宙に浮いてしまい、作家の意図に正しく行きつくまでに時間がかかるからである。

『9つの雄の鋳型』に対する否定、止むない肯定、しかし大いなる否定が脳裏をめぐる。
 作品は性に対する不当さを告発するものである。

 写真は『DUCHAMP』TASCHENより