『9つの雄の鋳型』

 確かに9つある図形。これを鋳型と言われればそれまでだが、鋳型に内部(本来の形)を象徴する形は不要である。それぞれ鋭利なもの平面や筒状、厚薄などでそれらしい形態を催している。
 しかしそれが何かは極めて不明であり、鋳型として寄与すべきものとは無縁である。

 無用な形態は一つに括られている(グループ化)、これを『9つの雄の鋳型』と称している違和感、謎である。Aだと言えばAに違いないという思い込みに洗脳されている学習脳。

「雄だといえば雄に見えるか?」不敵な応答がここにある。
 観念というデータ化された知識の集積に闘いを挑む作品である。

 写真は『DUCHAMP』TASCHENより