Ⅱ‐1‐4‐p1《地下のデイジー》

 自己は地上に在る。地下と地上と空との一点に位置する。
 見えるものと見えないものに囲まれ、視覚と想像、修学によるデータの集積を体感している。

《地下のデイジー》、この作品によって地下を認識し、デイジーという花を想像することが出来る。ごく普通に知っている花は独特の形態を持ち、明らかに《花》の形(花弁)である。しかし花(生物)は有機質であり酸化しやがて枯れ消失する。その質(内実)を金属(無機質)に変換し時間内に留めている。

 歩く人はこの作品の前で(躓き)作品に気づかされる。地下のデイジーという幻影が過る。かつて咲いていたという墓碑であり、地下に眠る種という未来でもある。
 立ち止まり瞑想する。花という軟質を金属(鉄)という硬質に置換することで儚さは不変性に転化され、記憶という操作を刺激し、《地下のデイジー》は連鎖の時間を固定化する。

 写真は若林奮『飛葉と振動』展・図録より