
男か女かを判別できないが、人であることは確かである。頭部から肩、下部は球体(しずく状)であり、説明不可というか描くことを阻んでいる。
存在するが、存在しない(見えない、把握できない)部分として抽象化している。本来よく承知している部位(身体)を何故わからないものとして省略したのか・・・。
しかも立像として設置できない、不明なものとして対象を置くことへの不可思議は鑑賞者を惑わせる。
人であり、人でない。人が立つという原初的な証明を外す意図は何か。人以前への得体のしれない郷愁、図り得ないものとしての《人》は恐怖であり慟哭を誘うものである。
人の誕生という捉え方、茫漠とした人への関心は手足を持たないことで始まりを感知させるかもしれない。計り知れない長い時間への洞察は奇妙な形で鑑賞者の精神を揺さぶる。
写真は 若林奮『飛葉と振動』展・カタログより