デ ュシャンの作品群は理解しがたく換言し難いという特性がある。それは故意に難しくしたというのではなく、《困難》そのものが意図だからである。
「分からない」という感想があれば、それが答えである。見えないと言えば見えず、無いだろうと思えば無い、その通りがデュシャンのありのままの製作意図には他ならない。
言葉にし難い不条理、この世に生まれてきた者の判別しがたい生理への不信。
生きるとは何か、存在の根源を問う。時間と空間に組み入れられた人間という性を問い続け、常に観念、常識への反感を静かな眼差しで問い続けた人である。
《こうあるべき》という積み重ねられたデータは固く人を縛り付けるが、そのことにすら気づかない。気づかないことが平和かもしれない、しかしデュシャンは違和感を持ち、その不協和音なような響きを具体化することに務めて作品を提示したと思える。作品群は一貫した彼の意図そのものである。彼は語らず、時に自身の身体を持って観客(他者)に問いかける。
「可笑しいか?」と。
ジェンダーフリー・・・世間はやっと気づき始めたかと、デュシャンは天国で笑っているかもしれない。