作品(人体レリーフ)は宙に浮いているというより立像を想起させる位置に設置されている。
 鑑賞者は作品に対峙し会話できるかの空間を用意され、ある意味戸惑いを隠せない。血の通わぬ物体(レリーフ)であることを承知したうえで露骨な観察を許可される。

 改めて、人とは何か、人への認識を強要される。訴えだろうか、問いだろうか…共感しうる繋がりは断ち切られている。確かに人間の体であるが、明らかに人間ではない。
 見かけと内実、精神の欠如、有機質ではない感触の温度差、鑑賞者は作品の前で、《差異》について考え始める。違和感はむしろ同質へと導く。(かもしれない)と言うあやふやな感想である。

 しかし、この《青》は全てを拒否する深さがある。もちろん彩色の妙ではなく、総てを否定する青だからである。
 イヴ・クラインの作品提示は「人とは何か」という問いである。裸身でありながらエロスを感じさせず、無機的な印象でありながら人そのものを想起させるという循環。人であることの集約、これ以上でもこれ以下でもないというメッセージには見る人を震撼とさせる怖さが潜んでいる。

 写真は日経新聞 2022.10.22 「見えないものの実体表現」より