『旅行者用折り畳み品』
 レデイ・メイド:アンダーウッド社タイプライターのカバー

 Underwoodの文字、アンダーウッド社といえば…というカバーである。であるならば、当然中にはタイプライターがあるはず、少なくとも入るはずだと確信するカバーである。知らない人にとってはカバーですらないが・・・。

 記憶、情報の集積、(これはあれである)という観念は払い難く脳裏に刻み込まれる。学習された日常は行動をスムーズにする。人は事故(過ち)がない限り立ち止まらない。

『旅行者用折り畳み品』はタイプライターだとは言っていないが、知る人はタイプライターだと推測する。なぜこれが旅行者用であるかは問わない。命名は他者にとって問題ではないからである。
 折り畳み品…確かに折りたためる感じであるが、鑑賞者は「それがどうした」という感想しか抱けない。この提示物(『旅行者用折り畳み品』)に関心を惹く要素を探せない。

 タイトル(『旅行者用折り畳み品』)とカバー(提示物)に関連(意味)を見出せない。内部の有無も確認するほどの興味を引き起こさない、なぜならタイプライターのカバーはタイプライターが入るものだと既に知っているからである。仮に知らない人であっても触ってみようとするほどの関心を持てない造作、美しくもなく新奇でもないただのカバーに過ぎないのではないか。
《存在の虚無》、有るけれど惹かれるものが無く、内部への関心も極めて低い《ただ有るだけの物》という評価である。この稀薄性は見事に衝かれている。

 写真は『DUCHAMP』TASCHENより