
『自転車の車輪』
レディ・メイドの自転車の車輪を椅子に固定
本来、地に着地しているはずの車輪を意図して椅子の上に置く。掲げていると換言してもいいこの車輪は椅子に固定されているが、単にこの景を見ただけなら、当然車輪は留まってはおらず落下(倒壊)すべき配置である。
白(椅子)と黒(車輪)、シンプルで美しいとさえ言えるこの設置。均衡(バランス)は取れているが、非常識である。車輪は自転車から外され部位にすぎないが唯一輪であり回転するという機能を残している。しかしだからと言って生産性、何かを動かす動力には遠い。エネルギーは放出されるばかりで無目的なエネルギーは空に帰すだけである。
徒労、無駄な設置、無駄な回転、意味の剥奪。存在しているが、存在の意味は著しく欠如している。
《意味とは何だろう》
いたずらに過ぎていく時間、見出せない工作の意図。見出せない工作にこそ意味を重く感じざるを得ない怪しい雰囲気が回転する。虚無、意味がないことを具象化する無為・・・否定、肯定、大いなる否定が渦を巻く、正解を浮遊させた作品である。
写真は『DUCHAMP』TASCHENより