一月やうすき影もつ紙コップ

(一月)と(うすき)は、何となく釣り合う。
(うすき)と(紙コップ)も何となく釣り合う。
 印象、イメージが同じ領域にあるけれど、実態は全く異なるものであるのに。

 一月の光は部屋の奥まで差し込むほどに低く、そして弱い光である。
 紙コップに威圧感はなく軽く薄い材質で消却は必須の、言わば儚い存在である。

 これらの共通項は《うすき影》にいかにも合致するから(うすき影もつ紙コップ)につながることに抵抗がない。確かに濃い影ではないかもしれないが、濃い影などというものがあるだろうか。
 影は透明な素材でない限り、同じ陰影をもたらすのではないか。紙コップは軽く薄い素材ではあるけれど、不透明であれば、強いて(うすき影持つ)と表現することは思いつかない。にもかかわらず、この微妙な感覚の差異をいかにもと納得させ(うすき影)の雰囲気を読者の脳裏に描かせた術に驚嘆する。

 平凡を装いながら、よく読み込むと深く肯かざるを得ない《一枚の絵》に仕上げている。