鋳型というものは外観を問わない。中身・内容が本体であれば、鋳型の外観が鋳型の本体と合致する必要な皆無である。
 にもかかわらず、あたかも鋳型の中身・内容が、それであるかの如くに錯視するように外観を作り上げているのは、無意味である。

 9つ、ということは合致している。しかし《雄》というワードは浮上し意味を霧消している。雄である必然性が見当たらないのである。このさもありなんとする9つの形態はどこを開けば、どう中の様相が露呈し納得できるかは不明である。要するに明確な目的を提示していないのである。

 意味不明、意味の分解、意味の破壊・・・存在に肯定できる理由が欠如している。
 存在とは何だったのか、常に意味を伴うことを妄信している《常識》という掟、領域に抗う手段は鑑賞者のまなざしを問う手段にも化している。