「接近する金属のなかに水車のある独身者の器具」

 不条理!
 接近する金属、金属が接近する・・・不明である。金属が人に与えるイメージとして、その重量・体積、そもそも何という種類の金属なのか。第一、金属に自ら動くという機能はない。
 定位置にない金属は、いずれどこかに定着するに違いない。浮遊はなく、外部からの力の作用がなければ動かない金属が接近するという状況を思い浮かべることは現実世界において困難である。
 ましてその金属の中に《水車のある独身者の器具》があるとは。金属の中に水がある、否、水とは言っていない。けれど独身者の器具に水車は必須か?そもそも独身者とは男女問わず未婚を指す者か。

 状況が脳裏に刻まれにくい設定のタイトルである。具象化不可の言葉の羅列、この言葉の選択は《決してあり得ない状況》を作り出している。

 作品は回転式になっており、回すと金属のフレームが球体になり、金属の中にという設定を肯定している。そして水車らしき形態のものが設定されている。ただ動力がなく、回転が何を生み出すかも不明であり、回すべき水の流れもない。これが独身者の器具として何を意味するのか・・・。

 意味不明、集積された情報をすべて否定するものである。ただこの光景が人を感動に導くものでも邪悪というのでもない。無為徒労は《関係性の否定》を言及している。この世の中に決してあり得ない状況を《言葉と物との関係》で証明して見せている。

 この写真は『DUCHAMP』TASCHENより